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私について

1953年、長崎県生まれ。背に雲仙普賢岳、眼下に有明海を望む自然豊かな環境で育ちました。

実用書の編集・制作を経て、32年間、歯学書(教科書、参考書)の編集・制作に携わりました。在宅ワークが主だったため、体調が悪いときは自分のペースで休むことができ、65歳まで仕事を続けることができました。

2005年、長年にわたる貧血と手術後の身体をどうやって立て直すか模索していたとき、出会うべくして分子栄養学に出会いました。詳細な血液検査項目と、これまで聞いたことのないデータの解析、そこからみていく身体の状態と必要な栄養素について学ぶとき、初めて勉強が楽しいものになりました。

 

かつての私のように、健康を取り戻すための情報を必要としている方のお力になれるよう、現在、ディレクターとしてメンバーの皆様のサポートをさせていただきながら、ともに学ばせていただいています。

たかが貧血されど貧血

30代初め、子宮筋腫を指摘され、区の健康診断で貧血を指摘されたのが30代半ば。

ヘモグロビンの値は11くらいだったと記憶しています。

近所の開業医を受診したところ某大学病院の血液専門の先生を紹介されました。鉄剤

が処方され、通院から半年後、フェリチン値が27(有経女性の理想値80)にまでなっ

たとき、「お薬ではここまでが限界です。このまま鉄剤を続けることはできないの

で、貧血の原因(子宮筋腫)を治してください」といわれ、大学病院への通院は終わ

りました。プルーンやひじきの粉、レバー、牡蠣、血合いの多い魚など、鉄分を多く含むといわ

れるものを積極的に食べるようにしましたが、牡蠣や魚、肉など動物性のもの以外

は、1か月も続けると体が受けつけなくなりました。めまいや立ちくらみなどの症状はなかったものの、冷え性で、夏場でも湯沸かし器がないと洗い物ができず、ときどきひどい頭痛を起こしていたのは、今にして思えば貧血によるものだったのでしょう。

年に3回は風邪をひき、治るまで1か月はかかるというのが通常でした。

もう少し生きられるかな

51歳、「このまま生活の質を落としていくよりは全摘もやむなし」と腹をくくったとき、全摘ではなく悪いところだけを摘出してくださる先生に出会うことができました。

入院中、KYBの千葉幸子ディレクターに出会い、すぐに栄養療法に取り組むことができたのも幸運でした。

52歳、手術から1年後、更年期特有の症状に悩まされることもなく、自然に閉経を迎えることができました。

栄養療法に取り組み、「身体が快復した」と実感したのは手術から2年後のことです。

そして65歳をすぎたころ。血液検査データに問題はないものの、だるい、気力が出ないなどの症状が現れ始めました。そこで、もう少しフェリチン値を上げてみようと、貧血のときなみのヘム鉄を取り始めたところ、数か月で体調が回復してきたのは驚きでした。まだ鉄分が必要だったのかと実感した出来事です。

「貧血は金欠に通じる」-仕事も遊びも動ける身体があってこそ! 

すこやかに歳を重ね、死ぬまで元気が目標です。一人ひとりが健康で幸せな人生を送れますように!

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